2014年5月3日土曜日

コルゲン(鈴木宏昌)伝説!


コルゲン(鈴木宏昌)さんと初めて会ったのは60年代後半の事でした。

ビッグバンドのピアニストだった彼とはスタジオミュージシャンと制作側として度々一緒に仕事をしました。

音楽に対しての真摯な姿勢、見事な演奏にいつも感心していました。

ある日「作曲はしていないんですか?」と聞いたら自分のバンドのアレンジはやっているけどオリジナル曲は書いたことがない。と言う返事でした。

才能のある新人作曲家を探していた私はCM音楽を作ってみないか、と話しました。

OKを貰ったのであるCMの曲を依頼しました。ただちょっぴり心配でしたのでベテランの作家との競作にしましたがコルゲンさんの曲が採用になりました。

それ以来長い長いお付き合いが始まりました。

コルゲンさんはまっすぐでとてもまじめな人でした。何か納得できないことがあると相手が誰だろうがどんな状況だろうと自分の意見をはっきりと言います。
それがどんな結果になろうがお構いなしの所もありました。

また本人は思っていなくても思わず周りが爆笑したりオヨヨとなるようなことも多々ありました。

考えてみるとこれも伝説になるな、と思い私が見聞きしたいくつかを紹介したいと思います。

1 あるCMの打ち合わせに1時間以上遅刻してきました。「どうしたの?」と聞くと一言「環七でリタイアした・・」と。
当時彼はスカイラインGTRにのってブイブイ走らせていたのです、どうも故障したらしい。

2 テレビの仕事でスタジオに行ったらある青年がピアノをぽろぽろ弾きながら作曲をしていたらしい。
それを聴いていたコルゲンさん、我慢できずにその青年に「このコード進行はだめだよ、絶対にあり得ない、ここに行くにはこのコードからこう行ってこう行ってやらなきゃあだめだよ」
と教えたそうです。青年はおとなしく言う事を聞いて「有難うございます」言ってた、と。
「その人はなんて言う人?」と聞いたら「たしかクワタケイスケとか言ってた」と。
周りは大爆笑!

3 あるCMの打ち合わせの後コルゲンさん「あれは許せない!俺は嫌だ!」と。まあ出来の悪い映像だったのは確かですが仕事なんで・・
そう、彼の口癖は「許せない」だったんです!この言葉はよく聞きましたね!
結局他の作家に頼みました。

4 当時私はコルゲンさんと筒美京平さんの二人のマネージメントもしていましたのでそれぞれの話をしていました。
コルゲンさんは勿論京平さんの才能をとても尊敬していましたが彼はストレートな性格、京平さんは根っからの草食系、半分冗談ですがコルゲンさん「京平?軟弱なやつ!」と悪口を・・それを京平さんに言うと「わぁコルゲンさんに怒られちゃった!」と(笑)またそれをコルゲンさんに伝えると「なよなよしやがって!」とお互い相手を認めているからこそのやり取りが面白かったです

5 車を買い替えたコルゲンさん何を思ったかロータスヨーロッパと言う派手派手なスポーツカーに変えましたが思ったよりも全然走らなくてがっかり、ちょうどその頃アメリカがカンボジアを空爆すると言う出来事がありました。コルゲンさんロータスヨーロッパの車体に「アメリカはカンボジアから出て行け」と言うでっかい横断幕を張り付けて走っていました。
「許せない」と言う訳です。

まだまだありますが今日はこのへんで。

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