2016年4月28日木曜日
CM音楽昔ばなし 大ヒット曲「また逢う日まで」が実は・・・
何時の事だったでしょうか?たしか1970年くらいの事です
ある大手広告代理店の依頼でサンヨー電機のエアコンのCMソングを作ることになりました
商品名は「サンヨーエアコン健康」です
作詞をやなせたかし先生、作曲を筒美京平先生にお願いしました。
曲が出来上がり槇みちるちゃんとハニーナイツで録音しました。
ところがクライアントからNOの返事が来ました!
スポンサーが気に入らないものはもうどうしようもなく諦めるしかありません
それからしばらくして「また逢う日まで」と言う曲が尾崎紀世彦さんが歌って大ヒットしました!
「あれ?このメロディに覚えがある!」と感じたのは私だけでなく槇みちるちゃんも「あれ聞いてるとそれはサンヨーのエアコンって歌っちゃうんだけど!」と(笑)
筒美先生がメロディを捨てきれなくて歌詞を変えてオリジナルソングにしたのでした!それも2回も変えて!
歌の出だし、「また逢う日まで会える時まで」のところは「誰だってみんな生きてるんだからさ」でした
サビの「二人でドアを閉めて二人で名前消して」のところは「それはサンヨーのエアコン、それはサンヨーの健康」でした
こういう風に一度は死んだ曲が生き返ってヒットするって嬉しいですね!
尾崎紀世彦さんは「ザ・ワンダース」と言うグループで何度もCMソングで協力して頂いてましたのでそれも嬉しい出来事でした
2016年4月25日月曜日
CM音楽昔ばなし CMソングがヒット曲になったお話 パイオニア ランナウエイ 他
CMソングとして作った物を長尺にしてオリジナルソングとして発売しヒットした事が色々あります
私の制作したもので最大のヒット曲はシャネルズの「ランナウェイ」でした
まだシャネルズがアマチュアバンドとして原宿のルイードと言うライブハウスに出演していた時の事です
アマチュアでしたがルイードでは大人気でドゥワップを歌っていました
商品名はパイオニアランナウエイ、大きなラジカセです
ランナウエイと言う商品名から連想する音楽はオールデイズです、そこまではすぐに思いついたのですが歌い手が見つかりません!
面白いグループがいるよ、との情報を得て見に行きました
顔を黒塗りにして歌っています、ヴォーカルの声が素晴らしい!
その場で出演交渉しました。ヴォーカルの4人だけで良いと、バックのバンドはスタジオミュージシャンでやることにしました
作曲は井上大輔さんにすぐに決まりましたが作詞家が思いつきません
50年代のアメリカのヒット曲に日本語で歌詞を付けて歌っていた時代、安井かずみさん、湯川れい子さんなどが活躍していました
湯川さん今はどうしているのか解らずやっと自宅の電話番号を調べて連絡しました
「ここ20年以上作詞なんてやってないけど・・」と言われましたがそこを何とかとお願いしメロ先で作って頂くことになりました
しばらくして湯川さんから1本のカセットテープが届きました.当時のご主人と歌っているものです
それには「君がとても好きさ~」と言う歌詞が付いていました、商品名がランナウエイですので出だしを「ランナウェイとても好きさ~」に変えたいとお願いしました
録音は夜にしてほしいとのメンバーの要望があり21時からの録音でした、当時メンバーはそれぞれガソリンスタンド、トラックドライバー、サラリーマン、町工場など仕事を持っていたのでその時間でないと集まれなかったのです
サビ前までがちょうど30秒、そこまでの歌だったのです
録音しながら「これ良いメロディーだからレコードにすればヒットするよね!」などとミキサーさんと話していました
実はその時はメジャーデビューが決まっていたのですが楽曲はまったく決まっていなかったのです、そこで担当のディレクターさんに「この曲良いと思いますがどうですか?」と言いましたら「我々の方向性とは全く違うのでレコード化は出来ません」と言われたのです!
「良い曲なのにね~」とスタッフの間では言っていましたがレコード会社の決める事ですからこちらはどうにも出来ません
CMのオンエアが始まってしばらくしたらなんと!シャネルズのデビュー曲が「ランナウエイ」だと発表されたのです!
これにはもうびっくり!こちらには何の連絡もなく決まったようで「どういう事?」と言うのがこちらの正直な気持ちでした
結果ミリオンセラーになりました。
何年かしてラッツ&スターになってからメンバーの何人かが合同結婚式をした時に呼ばれました、その時レコード会社の偉い人が「こちらは?」と聞いてきましたら湯川さんが「この人がランナウェイを制作したんですよ!」とフォローしてくれました、偉い人はその時初めて知ったようでした(笑)
と、まあ世の中は色々ですね!
ついでにもうひとつ
大塚製薬の「シンヴィーノ」という商品のCMソングを作ることになりBOROさんにお願いしました
打ち合わせの時映像を見たBOROさんが「これは何というホテルですか?」と聞きました
ホテルのカウンターで男性がシンヴィーノを飲んでいる映像でした、フィルムディレクターさんが「アメリカのネグレスコホテル、と言うホテルです」と答えました
そして出来て来たのが「ネグレスコホテル」という曲です
BOROさんのシブい個性的なヴォーカルと印象的なメロディが素敵です!機会があったら聴いて下さいね!
今回はちょっと長くなってしまいました、お読みいただき有難うございます!
2016年4月24日日曜日
CM音楽昔ばなし 既成曲をCMに使う場合 新三共胃腸薬「反省」編
昔、広告音楽とオリジナルソング(レコードとして売られる音楽)は全く別の世界でした
CM音楽は基本的に15秒、30秒の勝負ですから凝縮した形で作られます
また映像とリンクしますのでそれに合った、またクライアントのイメージが上がるように考えて作ります
しかしたまに既成曲を使う場合があります
映像クリエイターがその曲をイメージして映像を考え、世界を作る場合です
雪の降りしきる飲み屋街の前で新三共胃腸薬のパッケージにうつむきながらお猿の次郎君が反省のポーズをとっているCMを覚えていますか?
そのバックに流れるのは八代亜紀さんの「舟唄」です
「しみじみ飲めばしみじみと~想い出だけが行き過ぎる~」
とても印象的なCMでしたね!
15秒ですからその後に「新三共胃腸薬」と言うサウンドロゴが付いて終わります
このCM、私は参加しましたが音楽制作はやっていません、サウンドロゴは小林亞星先生の作曲ですから使用のお願いをしただけです
こういう仕事もあります
最近昔の名曲がCMで使われているのをよく見ますがこれには大金がかかっているのです
まずその曲の作詞家、作曲家の許諾を取ります、その時に許諾料が発生します
曲が有名曲であればあるほど許諾料は高額になります
次に原盤を使う場合原盤権を持っている所と交渉します。そこで原盤使用料が発生します
OKが出ない場合もあります。その時は誰かにカバーして貰ってに録音します、ビートルズの曲は最近聞きますが原盤は使えないようですね!
そしてオンエアの回数でオンエア料を支払うのです
あとタイアップ(嫌な言葉)と言う手法でレコード会社が直接広告代理店に持ち込み「××の新曲ですよ!」・・となる場合があります
CM音楽とレコード用の音楽との境目がおぼろげになってしまいました
映像とまったく関係ない歌が流れるとがっかりします!
CM用に作った曲を長くしてレコードにする場合もありました。それはCMが先ですから問題はありません
そのお話はまた今度しましょう!
2016年4月22日金曜日
「春の鯛うどん」間もなく終了です!
「春の鯛うどん」は今月一杯で終了します。
来月連休明けからは「初夏の鯛うどん」に変わります
ひき肉にスイートコーンが入ります
尻尾はヒミツです!
「春」まだ召し上がってない方はどうぞお早めに!
2016年4月18日月曜日
CM音楽昔ばなし 「伝説のドラマー」 石川晶さんの事
'60年代から'70年代まで活躍されたすごいドラマー、石川晶さんについてのお話です
日本でトップクラスのビッグバンド、「宮間利之とニューハードオーケストラ」のドラマーだった石川さんはスタジオドラマーとしても一番の売れっ子でした
その頃はCMは35mmのアナログフィルムで撮影され、それを録音スタジオで映写しながらレコーディング、と言うのが一般的でした
フィルムのリーダーに3・2・1と数字が現れ2の所にブツっというノイズが付いています、これを通称2ブツと呼んでいました
それを見ながらドラマーはスティックでワン・トゥ・スリーとカウントを叩き演奏を始めます
フィルムの28コマ目から音が入るタイミングで演奏しなければなりませんからそのカウントがとても重要な意味を持っています
またCMですから何秒何コマめにアクセントの音が来るように作られていたりしますからテンポなども重要になります
石川さんは一度テストで演奏して「ちょっとキッカケが合ってませんが」と私が言うと「わかった!もう一度テスト行くよ!」ときもちテンポを変えてカウントを!
するとぴったりになります!プロでしたね!
もちろん専門の指揮者がいたり作曲家が自分で指揮をすることもありましたが石川さんがいればたいていの事はお任せで大丈夫でした
録音された音楽はその2ブツに合わせて再生すれば同期出来る訳です
そんな訳で石川さん超売れっ子でした、ドラムセットを2組持ちボウヤが2人、次のスタジオに1人を先に行かせてセッティングを事前に行い
仕事が終わると身体だけ次に移動すると言うまさに「ケツカッチン」で仕事をこなしていました
その石川さんはアフリカが大好きでむりやり休暇を取るとケニアに足しげく通っていました
「ピグミー族と踊って来たよ!」などと嬉しそうに話していたのを覚えています
好きが嵩じて恵比寿に「ピガピガ」と言うアフリカンクラブを作ってしまいました!
そこではケニアから連れて来たバンドのライブを毎晩楽しむことが出来ました
アフリカのパーカッションがそこここに置いてありお客も一緒に参加できる楽しいお店でした!
もちろん私はしょっちゅう通っていました!
月に一度ビッグバンドの日があってその日は仲間のスタジオプレイヤーが続々と楽器持参で集まって来ます!
皆がやって来るのでステージはもうぎゅう詰めです、トロンボーンが8人いたりするんですから(笑)
最前列のお客は伸びて来るトロンボーンの管を避けながら聴かねばなりません(笑)
その時たまたま客席にハナ肇さんがいらして「俺もドラムやりたい」と!「譜面なくても誰でもやれる曲なら俺にも出来るよ!」と!
「ムーライトセレナーデだったら大丈夫だよね?」全員「OKです!」ハナさん楽しそうでしたよ!
客席も盛り上がりました!
そして石川さんはケニアに移住してしまいました、そしてケニアの土になられました
息子さんがおられて車のメカニックをやっていてサファリラリーのメカを担当されたこともあると伺っています
日本語、英語、スワヒリ語に堪能で「ピガピガ」もしばらくやっていましたが今は何処にいらっしゃるのか消息は分かりません
今はコンピュータードラマーが主流になってしまってこんな人たちとのコミュニケーションがないのはつまらない時代だな~と思ってしまいます
2016年4月13日水曜日
CM音楽昔ばなし 車のCM色々やりましたがまずはこれ HONDA CITY
1981年のある日、フィルム制作会社のプロデューサーから呼び出され1枚のレコードを見せられました
「この人たちで新車のCMを作りたい、ついては連絡先などを調べて欲しい」
何だかおかしなポーズのジャケット写真、マッドネス?知らない!
レコード会社経由でしか思い当たらず映像への出演交渉もあるので映像プロデューサーに交渉はお任せしました
無事にOKが取れやって来ましたよ!マッドネスが!
ロンドンの下町のお兄さんたち、と言う雰囲気です
作曲は井上大輔さんにお願いしました。良く知らないバンドの為の曲ですから苦労したようです
録音は当時材木町にあったテレ朝の横のスタジオで行われました
彼らの話すロンドンなまりの英語は全く分からず慣れるまで苦労しました
メンバーの一人が「ガハタイプが欲しい」と言う、え?ガハタイプ?何?と聞いても「ガハタイプだよ」と繰り返す
よくよく説明を聞いてみるとガムテープの事でした(笑)
全てがそんな調子、でも明るくて面白いお兄さんたちでした
歌を入れる時になりメンバーを呼ぶと一人いません!あれ?どこ行った?
探してもスタジオ内で見つからず手分けして夜の六本木を大捜索です
いました!ゲームセンターでプレイ中、キルトを着ているのですぐに見つかりましたが流石に2m近い大男がキルト姿でいるので周りはちょっとヒイテいましたね(笑)
「あなたの出番よ!」と耳を引っ張りたいところ届かないので(笑)
とにもかくにも無事に録音、撮影も終わりオンエアが始まったら大ヒットです!
何年目かの来日時に彼らの曲がイギリスのヒットチャートで1位になり日本から衛星中継したいとの申し出がありました
中継で生で歌いたいと言うのです、それも六本木から!
申請を出していたら間に合わない!どうしようと考えて「え~い、ゲリラでやっちゃえ!」と言う事になりました
六本木の交差点には交番があります、お巡りさんが気が付く前にさっとやれば大丈夫だろうとの無謀な考えです
本番直前までシーンと静かにしていていきなりの本番でした!アマンドの横です!ドサクサ紛れに大成功!
私は見るどころではなく交番みたり通行人に謝ったりもう大変でした
また「空手バージョン」の時は「ゥワチョ~!」という叫び声?が彼等には出来ないのでその声だけの為に歌い手さんをお願いしたりしました
お父さん、「シティを買うぞ~」と早速購入し(モトコンポも)二人であちこち行きました
走っていると子供たちがムカデ歩きをしてくれたりと大うけだったのも懐かしい思い出です
2016年4月11日月曜日
CM音楽昔ばなし 半世紀使われているCMジングル 明治チョコレートのテーマソング
'66年私は作曲家のいずみたく先生の会社で音楽ディレクターをやっていました
その当時CMは広告代理店を通さないものもあり明治製菓の仕事はクライアント直でやっていました
チョコレートのジングルを作ることになりいずみ先生が作曲することになりました。
いくつかのタイプの曲が出来ました、さてまずサンプルを作らなくてはなりません
今と違って打ち込みで作るなんて事は出来ませんから(笑)
録音スタジオを抑え、ミュージシャンを手配し編曲した譜面の用意が必要です
そう、本番と変わりない作業が必要なんですね!
歌い手は女性コーラスのスリーグレイセスに決まりました
しかし作った曲にクライアントのOKが出ません!
同じ作業を何回も繰り返しやっと出来上がったのが「チョッコレイトチョッコレイトチョコレイトはめ・い・じ」と言うあのジングルでした
最初に手を付けてから半年後の事でした!
最後の録音の時はスリーグレイセスの皆さん全員がおめでたでお腹が目立って来た頃でした!危なかったです(笑)
あの曲は途中マイナーになる部分がありその当時では考えられない構成でした。
またチョコレートではなくチョッコレイトと歌っているのが特徴です
もう50年経っていますがアレンジを替え、歌い手を替え使い続けて頂いてるのは作り手の一人として有難く思っています
66年のACCラジオCM部門!でグランプリを獲得しましたよ!若い若い私の写真が年鑑に載っています
2016年4月10日日曜日
CM音楽昔ばなし SammyDavisJr. サントリーホワイト
昔CM音楽のプロデューサー、ディレクターをやっていたのでその頃のあれこれを書いてみようと思いました
作詞家、作曲家、ミュージシャン、ヴォーカリスト、フィルムディレクターなど様々な人たちとの交流もあり思い出も沢山あります。
お読みいただければ幸いです
'73年に放送局主催の音楽祭がありゲストでサミーデイビスジュニアさんが来日するので彼を起用してCMを作ることになりました。
音楽制作を依頼されやっぱりジャズだね!と言う事になりました。
ジャズピアニストで作曲家でもあるコルゲン(鈴木宏昌)さんにお願いしました。
フルバンド編成の恰好良い曲が出来ました、が、サミーが来日してからリハーサルをやって、レコーディング、では間に合わない!
そこでこちらでカラオケをレコーディングしてガイドのヴォーカルを入れたものを譜面と一緒に送ることになりました。
ガイドのヴォーカルを誰にお願いしようかと悩んだ末松崎しげるさんにお願いしました。
サントリーホワイトの「GET WITH IT」と言う曲です。
CMフィルムは2タイプ作られ彼がアドリブで瓶を叩きながらスキャットで歌うタイプのCMが大ヒットしてACC、カンヌでグランプリを獲得したことはご存知の方もいらっしゃると思います
アドリブ編もフィルムディレクターさんは着けるブレスレット、リングなど音がどう響くか細かく計算して作り上げたそうです。
歌バージョンもオンエアはかなりありましたが今はネット上でも見つかりません!残念な事です
録音当日スタジオにはサミーとお付きの人が3人、2mを超すようなデカいボディガード!
彼はザ・スターと言った雰囲気です!
譜面片手にささっとマイクの前に、2回歌って「もういいだろう?」と言う感じ、私が粘って「もう一度お願いします」と言ったら
「私は40年間歌ってるんだ!シナトラなんかは1回しか歌わないんだぞ!」だって!
どうしても音程が少し悪い所があったのでそこを何とかお願いしてもうワンテイクさせて貰いました
余談ですが最初のテストの時「こういう風に歌えばいいのか?」と松崎さんの歌真似して歌ったのには驚いて全員大うけでした(笑)
そう、サミーは歌真似も得意分野なんですね!
それから何年続いたでしょうか、毎年1回アメリカで録音、撮影と言うのが続きました
サミーとはどんどん仲良くなり自宅でのパーティにスタッフ全員招待されビバリーヒルズのてっぺんの大きなお屋敷でのパーティでした
ピアノトリオの生演奏と30人ほどの招待客が居ました
家の中を案内してもらうとシネマスコープのスクリーンのある映画室もあり突然「映画を見よう!」とサミーが!見せられたのは「ザ・ヤクザ」でした!
ディーンマーティンが指を詰めるシーンがありゲストは大騒ぎ!「OH!NO!」などと叫びます(笑)
ガンルームにはずらりと銃のコレクションが並んでいました「これはジョンウエインが使ったものだ」などと解説付きでした。
モデルガンじゃないんですものね(笑)
そんなサミーももうこの世にはいませんが思い出は色あせることなく私の心にあります
2016年4月1日金曜日
「春の鯛うどん」始まりました!
毎年恒例の「春の鯛うどん」いよいよ始まりました!
今日から販売しています
尻尾のヒミツは知っている人は知っている(笑)
ひとつ250円(税込み270円)です
ぜひお越しくださいね!
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